今回はサイト名である「銃士隊」について解説してもらいました。
史実の「近衛銃士隊」ってどんな人達だったんでしょうか?
そんな疑問を谷利さんが解説してくれます。
また、お会いできて嬉しく思います。筆者の谷利と申します。
この文章は「王立銃士隊」サイトの作品の一要素を歴史的なアプローチから取り上げてみて、作品の世界観を拡げたり、歴史視点から作品に興味をもっていただこう! という試みになります。大河ドラマの本編が終わった後に流れる「○○紀行」をお手本にしております。
なお、作者の方から許可を得ておりますが、アマチュアの歴史好きである筆者個人の緩い歴史考察であり、作者の方からの公式回答ではないことをあらかじめお断りさせていただきます。
それでは前口上はこれまでとさせていただき、ゆるりと参りましょう。
今回のテーマは「銃士」になります。サイト名が「銃士隊」なのだから最初に取り上げるべきでは? との疑問を持たれる方もいらっしゃるかと存じます…。はい、 その通りでございます。(笑)
そんな計画性のない筆者にお付き合いいただければ幸いでございます。
・『そもそも銃士とは?』
「マスケット銃」という「ライフリング」がされていないタイプの銃身の先から銃弾を装填する銃をメイン装備にした歩兵というのが定義になるようです。
ただ、この定義では江戸時代の「鉄砲同心」からオスマン=トルコを世界的な帝国に押し上げた「イェニチェリ」まで含む事になります。私達のイメージとしては「三銃士」でお馴染みの「フランスの銃士隊」になるかと思いますのでそちらを中心に触れてゆきたいと思います。
・『フランス、「新戦術 テルシオ」に敗れる』
銃士隊が活躍するのは17世紀から18世紀、日本では江戸時代初期から中期頃になります。
彼らが活躍を始めるその少し前、フランスはルネサンス華やかな「イタリア」の支配権を主張して「スペイン」、「ローマ教皇」、「神聖ローマ帝国」と対立、戦争に発展していました。
「イタリア戦争」と呼ばれるこの戦争は、「中世から近世への転換点」と呼ばれる重要な出来事ですが、今回は「銃士隊」がメインですので本格的には触れません。
戦争初期は「百年戦争」を戦いぬいたフランス伝統の「重装騎兵」と「スイス傭兵」の「パイク兵」を活用し戦局を有利に進めていました。
しかし、「太陽の沈まぬ帝国」と謳われたスペインがパイク兵の両脇をマスケット銃で武装した歩兵で備えた「テルシオ」を発明し逆襲を開始します。この戦術によりフランスは国王が虜囚になるほどの敗北を喫し、新たな軍制を採り入れる事を余儀なくされます。
・『新時代の騎兵達誕生』
槍で武装した騎兵(騎士)が戦術的な限界を迎えると、欧州各国が導入したのがドイツで生まれた「レイター騎兵」と呼ばれる「ピストル」と「サーベル」で武装した新型騎兵でした。とはいえ、現代のように連射ができる物ではなく「ジッポーライター」の点火方式で射撃をできるようにした物でした。
ピストルによる遠距離攻撃を手に入れた騎兵でしたが、馬上からの射撃は命中率が悪いうえに足を停めてしまうと歩兵からの射撃で餌食になってしまいます。
また、ピストル射撃では槍騎兵が持っていた「突撃による衝撃力」がなくなっていたため、扱い辛い部隊になってしまいました。そのため騎兵の作戦行動を援護する部隊が必要になってきます。
「銃士隊」はこの騎兵を援護するために馬に騎乗して高速移動をして射撃位置を確保。下馬をしてマスケット銃で射撃をする「初期の竜騎兵」として誕生します。
・『銃士隊あれこれ』
この時代の軍隊では、軍服や武器を自分たちで用意するのが一般的でした。前述の「レイター騎兵」の場合、軍服にピストル2丁に騎士甲冑、サーベルと軍馬を用意できるだけの財力が必要でしたから貴族でも高位の人間しかなれませんでした。
最初は「経済的な理由」でしたが、のちに既得権益になっていきます。
銃士隊の装備は、軍服とマスケット銃とレイピア、軍馬でしたから比較的低位の貴族でも入隊が可能でした。「三銃士」の主人公「ダルタニアン」もその一人になります。
実はダルタニアンは実在の人物をモデルにしていまして、彼の活躍は「三銃士」以降も作品があり、彼が戦死するまでの「ダルタニアン物語」という一代記のひとつになります。
ちなみに、ダルタニアンは「シャルル・ダルタニアン」または「ダルタニアン伯爵」と名乗ります。しかし、本名ではなく彼の母方で軍人として有名だった親戚の名字や爵位を上司達に覚えてもらうために勝手に名乗っていたのだとか…。
フランス王国は身分制度が非常に強固な国でしたが、「銃士隊」は低位の貴族身分でも軍人になれて出世が可能、史実のダルタニアンは軍人として「歩兵総監職」や「近衛隊副隊長」、「リール総督職」を務めるまでに出世、貴族としては「法服貴族」の女性と結婚していまして、彼の子孫には「元帥」にまで上り詰めた人物もいます。(史実の彼は元帥になれませんでした。)
そのため多くの若者が夢と野心を抱いて門を叩く事になります。
・『銃士隊の前身アンリ4世の軽騎兵』
銃士隊を創設する「ルイ13世」です。その彼の父親が「アンリ4世」で「ユグノー戦争」と呼ばれる「プロテスタント(新教)」と「カトリック(旧教)」の宗教を切っ掛けにした泥沼の内戦を戦いぬいた王様でした。
彼の家は「プロテスタント」だったため国内の混乱を治めるために王位に付いた時に「カトリック」に改修し、「プロテスタント」の信仰を許すという政策を実施します。彼のフランス再統一や統一後の政策を支え続けたのが軽騎兵隊でした。
・『銃士隊誕生』
暗殺された「アンリ4世」の後を継ぎ王位についたルイ13世は母から実権を取り戻すと半ば独立国化していたプロテスタント系の都市や諸侯の制圧に乗り出します。その時に「銃士隊」が正式発足します。ちなみにこの時の制服は「カソックコート」ではなく「騎兵服」だったようで、有名な『三銃士』格好は太陽王ルイ14世からになります。
彼らは、この時代の軍隊の主力である「傭兵」や「徴兵された農兵」ではなくプロの軍人集団でしたので士気が高く有能な集団と上層部に評価されて多くの戦場で活躍します。
『三銃士』に登場するトレヴィル銃士隊隊長はこの戦いで活躍した人物になります。
さて、ようやく銃士隊が誕生いたしましたが長くなって参りましたので、続きは後編とさせていただきたく存じます。
お付き合いいただきましてありがとうございます。よろしければまたお付き合いいただきたく存じます。