前世の陸軍航空隊は、割と手探りで対米戦を戦っていた。
悪く言えば行き当たりばったりだが、良く言えば相応の柔軟性を以て運用されていた。時に「日本軍にしては」の枕詞が付いてしまうのが残念ではあるが。
ドイツ式の2機編隊が有効と知ると、トップダウンで全軍に徹底を命じたし、戦隊長が報告書に追われて疲弊していると知ると、専門の事務屋を作って仕事を軽減させた。
「整備隊本部」も、そんな暗中模索の中で生まれたシステムで、整備中隊としてばらばらに部品や人員をやりくりしていた整備兵たちを、統括して風通しを良くしたのだ。
こちらの日本においてもこれらの改革は早々に行われている。史実より早いのは、隼人の未来知識による。
山田ナディラ中尉は、整備隊本部直下の第3整備小隊長である。
独立が予定されているインドネシア出身で、学業優秀な為航空士官学校に留学生として抜擢され、魔法の適性があった事から、同期でも出世頭だ。
褐色の肌にショートヘアー、おまけにアクティブでハキハキとした言動は、戦隊の男どもになかなかの人気である。
「少尉、点火プラグの箱は、そこ置いといてや」
関西弁のイントロネーションで飛んでくる指示に、隼人は元気よく答えると、木箱をせっせと運ぶ。
軍隊は基本的に方言禁止ではある。銃弾が飛び交う中で、早口の鹿児島弁で命令されて指示を聞きそびれる、などと言う事故を防ぐためだが、彼女がライズ語を使うと訛りが出てしまうらしい。

陸軍では一時期「軍曹殿、〇〇であります!」と言った山口訛りから生まれた軍隊言葉が使用されたが、「言い回しが冗長で、戦場ではまどろっこしい」と言うもっともな理由と、ラジオの普及で所謂標準語が広がったことから、現在は普通に標準語が使用されている。
これを下調べを怠って映画のイメージで軍隊言葉を使用した新兵は、海軍なら「陸式の真似はするな!」と殴られ、陸軍なら「精進が足りん!」とイビられる。
そもそも何故インドネシアのナディラ中尉が関西弁なのかと言うと、日本から祖国に赴任してきた教師がコテコテの大阪人だったらしい。
山田と言う姓も自分の村には苗字と言う文化が無いと話したら、「じゃああんたは今日から山田や」と適当に名づけられたらしい。
「中尉! 運び終わりました!」
きびきびと敬礼する隼人を、整備小隊の面子は奇異な目で見ている。
整備に関心を持って格納庫を訪れるパイロットは多いが、わざわざ新兵がやる様な雑用を引き受ける者は皆無だからだ。
実は、士官は濃密な訓練を受けているお陰で、肉体労働の経験は下手な兵卒より豊富だったりするのだが、それにしても猛烈に消耗する空戦訓練の後で重量物の運搬とは、物好きも良いところである。
「ホンマに見てるだけでええんか? 簡単なメンテナンスくらいは教えてやるで?」
戸惑い半分、面白半分で尋ねるナディラに、隼人は「ありがたくはあるのですが」と前置きして辞退した。
「ここが訓練部隊なら喜んで申し出を受けますが、実戦を控えた部隊で新兵が経験を積む機会を奪うわけにはいきませんので。自分は見ているだけで十分です」
中尉は意外そうに隼人を見つめると、すぐにんまりと笑う。
(良くいる飛行機馬鹿やと思ったけど、意外に周囲が見えとるな)
「ま、好きにしいや」
自分の作業に戻ろうとして、ふと疑問に思っていた言葉をを思い浮かべる。
「そや、少尉が離陸前に『お借りする』って荒磯伍長に言ったそうやな。あれはどう言う意味や?」
普通、パイロットは「行ってくる」とか「暴れてくる」と言った言葉を残して離陸する。無言の者も居るし、「ありがとう」と言う気さくな者もいる。
しかし、「お借りする」と言うのはどう言う意味だろうか? 〔隼〕は軍の備品で、パイロットは隼人その人である。
「え? 機体は本来整備してくれる人の物でしょう? パイロットは戦闘の時ちょっと借りるだけじゃないですか」
きょとんとした顔で凄い事を言う新品少尉に、整備兵達は一様に顔を見合わせている。 隼人が言ったのは、あくまで戦後の常識である。
前世の日本軍は、整備兵の教育を怠り、その重要さをまるで理解していなかった。おかげで戦争後期に登場した自慢の新鋭機も、10機の内4機が飛行可能なら良い方、と言う惨状に追い込まれる。
たまたま優秀な整備士官が整備体制を見直しただけで、8割以上の機体が飛行可能になったと言う笑えない話もあり、戦後これを猛省した自衛隊は、整備兵の教育を重視した。
その甲斐あって稼働率で米軍を上回ると言う快挙を達成する訳だが。
こうした動きは世界の潮流であり、「飛行機は整備士の物、パイロットは借りるだけ」と言う「常識」もそんな中で生まれていった。
勿論、こちらの地球でもライズでも、こんな考えはまだ異端である。
「気に入った! あんたおもろいわ!」
「ありがとうございます! 分かって頂けましたか!」
意気投合する2人を、作業中の整備兵達は苦笑と共に見守った。この2人、ノリが似ている。
だが、同時に悪い気はしなかった。パイロットから「機体は整備兵の物」と言われたと言う事は、自分たちの仕事が最も重要だと評価されたに等しいからだ。
飛行機馬鹿の知ったかぶりが、期せずして整備兵達の心を鷲掴みにした瞬間だった。