「歓迎会で早速聞いて回られていましたが、少尉は戦訓の収集に熱心な様ですね」
「それはな。出版されている物は大抵読んだぞ」
えっへんと胸を張る隼人。
この手の知識量には自信がある。何しろ、令和の地球では戦史関連の書籍が溢れている。中隊長の檜を始め、エースパイロットの手記は擦り切れる程読んだ。第1中隊の赤松曹長(史実では中尉だが)の手記は絶版で高値がついていたが、アルバイトで資金を貯めてゲットした。
外国のパイロットも読み漁った。ロシア、イタリアパイロットの手記は未訳も多いが、英訳されている物もあるし、それ以外も原語で読破する覚悟を固めていた。
「では、それは一旦忘れましょう」
「ええっ!」
どこぞのコメディアンの様に大げさにリアクションしてしまうが、実際面食らっていた。 自分の武器だと思っていたものを捨てろと言われたのだ。
「その様な知識、何に使うのです?」
「何って、成功者の言葉は参考になるだろ? ボイドの空戦理論だって……」
「ボイド? 誰です?」
怪訝そうに見つめるマヤに、隼人は「まあそれは置いておいて」とお茶を濁す。
ジョン・ボイド。前世の米空軍大佐で、空中戦のセオリーを数値化した人物である。こちらではまだ5歳やそこらである。
「だから、機体特性を数値化して、勝利の方程式を」
「どうやって、数値化するのですか?」
「それは、コンピューターで……」
「こんぴゅうたあ?」
「……あっ!」
マヤの視線がますます可哀そうな人を見るものになる。
前世で造られた世界初のコンピューター、〔|ENIAC《エニアック》〕は1943年開発開始。今は西暦だと1942年なので、そんなものはまだ影も形も無い。
隼人の入れ知恵で既に日本を中心に開発が始まっているが、恐らく実用化は史実のENIACとどっこいだ。未来知識で理論はカンニング出来ても、信頼性は手探りで確保するしかない。チート国家である史実の米国ですら、頻繁に故障する〔ENIAC〕には手を焼いたのだ。
隼人は、「良い案だと思ったんだけどな」と曖昧に笑ってやりすごす。前世の記憶を取り戻してから15年以上経つが、こういった失言は慌てて取り繕うより流した方が良い。大抵の場合は「変な奴」で終わりだ。下手に言葉を重ねると疑惑や興味を掻き立ててしまう。 案の定、マヤは「まあいいです」と話題を切り替える。
「少尉は現場のパイロットの戦訓を多くご存知の様ですが、昨日の話や模擬戦の結果を見ると、その多くは超一流のエースに偏っているようお見受けします。そうでない者の言葉はあまり伝わらないので当然でしょうが、そういった超一流の真似をそのままするのは少尉には早すぎます」
「俺、そんな無理をしようとしてたのか?」
「そうですね。学校の勉強でも、いきなり高度な機械工学や物理学の公式は教えないでしょう。成功者は概して”天才”型の人間も多い。天才の言葉を鵜呑みにするのは、時として無学でいる事と同じくらい危険な事です」
隼人は息を飲んだ。思い当たる事があまりに多かったからだ。
「『好き』が興じて何かを目指す人間にありがちな事です。天才の言葉は、天才にしか再現不可能な事も多々あります。少尉の様な『憧れ』から来る『無批判』は成長を阻みます。憧れるのは良い事ですが、無批判は直ちにやめて下さい。換骨奪胎できないセオリーなど、かえって有害です」
マニアはプロを理解できない。
理解するにはプロになるしかない。
好きな作家がそんな事を書いていた。
士官学校を出て、一端になったつもりでいた。
だが、自分は所詮|新米《新品》少尉でしかなかった。模擬戦でマヤに手も足も出なかった事実は心を折ったが、今の言葉は鼻っ柱を折ってくれた。
「……嫌になりましたか?」
それなら、と続けようとするマヤに、頭を振って応える。
「ワクワクしてきたよ。何が悪いかを見つけることが出来たんだ。俺がそれを乗り越えたら、凄い物が見られるかもしれない」
まるで投げられた玩具を追いかける犬っころの様に、隼人の瞳はもう目の前の目標を見ていた。
ーーマヤ! 空へ行ったら、きっと凄いぞ!ーー
胸中に、あの懐かしい笑顔がよぎる。
よりにもよって目の前の頼りない新品少尉の言葉で、「あの約束」を思い出すなんて。
(……感傷ですね)
感傷は「要らないもの」だ。
湧きかけた感情を仕舞いこみ、再び彼に向き直る。
「少尉が誰の背中を追いかけているかは知りませんが、凡人は天才と同じやり方をしても決して天才には勝てません。何故なら、天才が感覚で行うことを、凡人は理論化してセオリーを導き出さないと行えないからです。だから、天才に勝とうと思ったら、天才の何倍も頭を使い、“理論”を構築しなければなりません」
「理論?」
「少尉は、今日指摘した問題点を早速記録していましたね。『旋回は右旋回を織り交ぜる』『大技は控える』。そう言った、自分の手足を動かして学んだ事を蓄積しましょう。そして『何が最善か?』『何が駄目なのか?』を常に考えてください。悩んで得た応えが、少尉の”理論”です。それは少尉が自分自身の為に生み出した物なので、才能による齟齬は起きえません」
マヤはチョークを手に取り、日本語で「理論」と大きく書き込む。
「天才は感覚で行うがゆえに、その感覚が機能しない状況になると非常に脆い。しかし、凡人が試行錯誤して生み出した“理論”は感覚と違って裏切りません。天才に勝とうと思うならそこを突くしか無いでしょう。ただし、新しい状況に合わせて“理論”を更新し続ける柔軟性は必須ですが」
熱心に話を聞く隼人を前に、言葉に熱が入っている自分に気付いた。
それはきっと、彼が「これから」の人間だからだろう。そのひたむきさに懐かしさを感じてしまった。つまりは感傷だ。
自分は「終わってしまった」人間でしかないのに。
隼人は、不器用でも両翼を羽ばたかせようとしているのに、そんな彼に、片翼の自分が飛び方について説教を垂れている。
(滑稽ですね)
心の何処か冷静な部分が、彼女自身を嗤った。