新米の青年士官は、何故か初めて持った部下に正座をさせられていた。
 見上げるマヤ曹長の表情からは喜怒哀楽は乏しい。それが余計に緊張感を醸し出していた。
 嫌な汗をかく。階級章の権威など、今感じている圧力を思えばば紙切れに等しい。
 貴人に対して物怖じしない隼人も、この時ばかりは形無しだったと後に語っている。

「さて少尉。今日の模擬空戦で少尉は何回ミスを犯したでしょう?」

 引きつった顔で指を3本立てる隼人に、マヤは頭を振る。

隼人、怒られる

「およそ12です。つまり、少尉は実戦なら12回死んでいると言う事です」

 そう断言し、黒板に今日のミスを延々と書き出してゆく。何しろ小学校を接収して使用しているので、こういった設備は容易に流用出来て便利だ。
 そんな事を他人事の様に思いながら、胸ポケットから愛用の万年筆を取り出し、ノートに内容を写してゆく。
 書き終わった後、後ろに断っている樋口哲也軍曹に振り返り「補足はありますか?」と尋ねる。樋口は無言で頭を振ったので、マヤは問題点を1つずつ説明してゆく。

「致命的なのは3つです。第1に、動きが規則的過ぎます。確かに右利きの少尉は左旋回の方が有利ですが、毎回右旋回では容易に機動を予測されます。第2に、攻撃をかわされた時、背後を取られた時の動揺が飛び方に出ています。もし実戦であれば、敵はしめしめとほくそ笑むでしょう」

 思い当たる事がありすぎる。たらりと冷や汗を流す隼人を一瞥して、彼女は「1番不味いのは、出来もしない大技への拘りです」と断言した。

「『左捻り込み』はリスクの高い大技です。そんなものを使わないと勝てないようではもう負けています。士官学校でそう習いませんでしたか?」

 ぐうの音も出ないとはこの事である。
 「左捻り込み」は日本軍のベテランパイロットが使用する、所謂必殺技である。
 どんな技かと言うと、実は使い手によってまちまちで、何を以て「捻り込み」とするかは割とざっくりである。共通するのは「最小の動きで旋回し、敵の背後を取る秘技」であり、この技術を使いこなす者は、格闘戦において無類の強さを見せる。
 同時に、使い所を誤れば無防備を晒して危険を招く諸刃の剣でもある。
 教本に記されているわけでは無く、パイロットからパイロットへ口伝されている為、直接習うか、試行錯誤して身に着けるしかない。クロアでも多用され、初戦の戦いを支えた技術だ。
 隼人は拳を握りしめ、絞り出すように答えた。

「……勝ちたい奴が居るんだ」

 後ろで無言だった樋口は、小さくため息を吐いて見せた。 マヤは僅かに目を細める。それが困惑なのか、不快感なのか、それとも他の何かなのか。隼人には判断が出来なかった。

「少尉が誰に勝ちたいのかは分かりませんが、仮に捻り込みを覚えたとして、それが”勝つ”為に最良の道なのでしょうか?」
「え?」

 見上げた蒼い瞳は、何処か子供を見守る母親の様であり、生徒を諭す教師の様であった。

「捻り込みならいくらでも教えましょう。しかし、現状でそれを使って戦えば、戦死する可能性は高いです。もし、強いパイロットになりたければ、大技への拘りを捨てて堅実に生き残る術を学ぶべきです。捻り込みでなければ”勝てない”と思うなら、それを貫くしかありませんが、狂気に迫る程の強い意志と強運を必要とするでしょう。少尉は、”何を望む”のですか?」

(そうか、俺は……)

 そこまで言われて、自分は恐ろしく視野狭窄になっていた事に気付く。

(”あいつ”に勝ちたいのは、そういう事じゃない)

 隼人はにっと笑う。マヤの瞳に、ほんの少し戸惑いの色が浮かぶ。

「俺は、別に捻り込みをやり返して勝ちたいわけじゃない。ただパイロットとして、人間として、あいつを超えたいだけだ。その為に捻り込みが障害になるなら、躊躇無く捨てるべきだと思う。ありがとう。迷いが晴れたよ」

 ふうっと息を吐いたマヤは、幾分穏やかな空気を纏っていた。

「その考え方はファイターパイロットとして正しいです。それに関しては上出来です」

 隼人の顔に、ぱっと喜色を浮かぶ。どうやら、あれだけ言われて委縮する様子は皆無らしい。

「そうだろ? 俺は間違える事は得意なんだ。後になって”あの時直しておいて良かった”と思う事が良くある」

 マヤは「ふむ」と顎に手を当てる。
 南部隼人少尉。ゼタン条約機構の盟主であるダバート王国士官。実戦経験は一応あるらしいが、操縦は下の中程度。技術は経験で補えるが、その経験も薄い。魔法は使えるらしいが、最低クラスの丙級で特に空中戦で役立つ魔法とは思えない・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 何故彼の様な人物がクロアに送り込まれてきたか疑問だが、「即戦力」としては論外でも、確かに「素材」としては面白いかも知れない。
 彼は冗談めかして言っていたが、早期に失敗を自覚して対策を講じるのは、優秀なパイロットの絶対条件とも言える資質だからだ。

「で、俺は何から始めたら良いか聞いても良いか? あと、そろそろ正座は止めていいかな?」

 食い気味に問いかける隼人に、マヤは「どうぞ」とだけ答えた。