話は更に1週間遡った7月24日。


 日本の少年少女・・が「どんな大人になりたい?」と言問われた時、必ず挙がる名前が加藤建夫陸軍中佐である。
 170cmの長身に、掘りの深い顔、やせ型だが引き締まった体型と、良くライズ人の血が入っていると誤解されるが、両親ともに日本人である。
 シベリア戦争・・・・・・で赫赫たる戦果を挙げ、指揮官として優秀で人格も温厚かつ高潔。陸では人好きする良き上司だが、空に上がればたちまち闘将と化す。
 檜中尉などは「この手の話は大抵尾ひれがついている」と話半分に聞いていたが、本人に会うとたちまち惚れ込んでしまい、彼の前での隊長批判は相応の覚悟を必要とする。

 ライズ、地球の列強は義勇兵の受け入れに制限を設ける「シーグ条約」を締結している。これは、ライズで地球の代理戦争が激化し、荒廃することを恐れたゾンム皇帝の発案だった。地球側も製品を輸出する以上、顧客であるライズの荒廃は望むところでは無く、クロアで内戦が始まっても派遣された義勇兵はベテランや技能兵に限られた。
 そう言った枠がある中で、帝国陸軍が真っ先に白羽の矢を立てたのが加藤だった。クロアはゾンム帝国をスダ大陸に押し込める為の楔である。能力だけでなく「日本はクロアを見捨てない」と言う決意の表れとして、加藤は最適な人材だった。
 彼が率いる64戦隊は、ただ敵を撃ち落とすだけではなく、宣伝部隊の様な存在でもあった。
 そして、彼はその役目を見事果たした。初戦で戦隊が撃墜・撃破した帝国派の機体は多数。加藤本人や副隊長の南郷を始め、エース5機撃墜ダブルエース10機撃墜は片手で数えられず、1機も落としていないボウズは戦死者を含めて皆無と言う、驚異的な戦果である。
 加藤や南郷はクロアでも時の人となり、「うちの娘を是非第二夫人に」と持ちかけてくる貴族たちに「日本では側室制度が無いので」と説明して回る羽目になった。
 クロアで戦う腕っこきは、加藤の下で戦う事を望み、欠員補充で64戦隊へ転属されれる事は何よりのステータスだった。
 マヤ・サヴェートニク曹長もそんな腕っこきの1人である。

「私が、新任の隊長を教育ですか?」

 無表情、と言うより無感動に確認を取るマヤに、加藤は苦笑する。
 彼女は終始こんな感じだ。他人を拒絶している訳では無く、打てば響くし協調も取れる。寧ろ嫌いな人間ほど笑顔でやり過ごす傾向があるので、この様な反応はまだ信頼されている証なのだろう。
 ゾンムに祖国を滅ぼされて流れて来た、と言う経歴と合わせて、扱いが難しい部下だ。
 26歳の女ざかりで、きりりとした目尻と涙ほくろ、どこか洗練された立ち振る舞いは、銀座辺りの舞台女優でもやって行けそうだ。
 当然性別を問わず人気があるが、この取っつきにくさは人を選ぶ。中隊長の檜は鷹揚に構えて気にしないし、前任の小隊長とも上手くやっていたようだが、まだまだ近寄りがたい人物と認識している者も多い。

「驚くことは無いだろう。士官パイロットは下士官に尻を叩かれて強くなるもんだ。君だってもう何人か育てたと聞いている」
「……教えたのは実戦経験者ばかりで、士官学校を出たばかりのまっさらな少尉は未経験です。そもそも、なぜ私なのです? 樋口軍曹の方が適任では?」

 「こいつ、人を見てやっているな」と加藤は思う。
 内地日本で下手な上官に命令に異議を唱えれば、鉄拳ビンタの一発は覚悟しなければならない。近年の軍制改革でかなり空気が変わってきたが、まだまだ頭の固いわからずやは存在する。上の決定に異を唱えたければ、それなりの言い回しが必要であり、マヤはそれが出来ないどころか、かなり得意である。
 組織の硬直を嫌う加藤の方針で「ゆるさ」を持った戦隊の空気を見込んで、敢えてそのまま疑問を返しているのだ。 それは、信頼の証と言うより、単純に手間を省いているのだろう。
 半ば呆れてはいるが、同時に日本人パイロットに無い、柔軟な部分を高く評価もしていた。

「君ほど教える事に長けたパイロットは居ないよ。日本のパイロットは腕で飛ぶが、君は頭で飛ぶ・・・・・・。そう言う人間は教育者向きだ」

 執務机から見上げるマヤは、相変わらず無感動ではあるが、加藤は少しだけ困惑の色を感じた。
 加藤の見識眼は、流石歴戦の指揮官と言える。隼人の手記でも、「マヤ・サヴェートニクほど優れた導き手は、私の人生で後にも先にも存在しない。その名が示す通り、最高の助言者サヴェートニクだ」と言う最大級の賛辞を送っている。
 後の竜殺しの土台となるマヤからの教えは、まさにこの加藤の決断によるところが大きい。

「私がそう考えたのが、意外かね?」
「いえ、教育者に向いていると言われたのは、初めてですので」

 気持ちが動いていると判断した加藤は、「では頼む」とたたみかける。
 一礼して踵を返す背中に声をかけたのは、”彼女が纏っている何か”を感じ取ってのことだった。

「曹長、私はシベリアで君の様な人間をたくさん見て来た。戻る場所を失って捨て鉢になるのは分かる。だが、幸せを求める事を諦めないで欲しい」

 マヤは一切の口調を変えず、「ありがとうございます」と返し、退出してゆく。
 加藤は息を吐くと、窓を開けて胸ポケットから煙草を取り出した。



「幸せ? ……何を今更」

 囁くように吐き出した言葉は自分でも驚くほど毒が籠っていた。
 翼をもがれたあの日から、マヤ・サヴェートニクは片翼で飛んでいる。一度大地に降りてしまえば、もう二度と飛べないだろう。
 だから、空にいる今のうちだけでも、全てを奪ったゾンムを撃ち落として焼き尽くし、後は地面に叩きつけられて息絶えるのみ。
 胸のペンダントを握りしめる。祖国を追われるとき、持ち出せた物はこれだけだ。
 マヤ・サヴェートニクに幸福など必要ない。
 今この瞬間空に居られるだけの片翼と、脳髄に刻み込まれた憤怒。
 それだけあれば十分なのだ。