2ヵ月前、降臨歴942年8月2日


「昨日の補充でうちの中隊に来た新品新米少尉、お前何か言われなかったか?」

 檜与平中尉は、飛行場に据え付けられたベンチに身を預け、親友の八田米作中尉に尋ねた。飛行場と言っても、ただの原っぱである。
 歴戦の精鋭たる飛行第64戦隊が配置されるのが、首都の舗装された飛行場では無く、このような郊外の片田舎であるのは理由がある。
 大公派が持つ戦闘機で、彼らが使用する〔隼〕及び〔ゼロ戦〕は、軽量のが幸いして粗悪な飛行場に強い設計であるからだ。
 英国の〔スピットファイア〕やドイツの〔Bf109〕は、主脚(車輪を取り付けるアーム)を短く造りすぎて、やたら事故が多い。特に〔Bf109〕が深刻で、休戦前は着陸ミスによる損失が戦闘で失われるより多いと言う惨状を晒した。
 結果、舗装された飛行場は、高性能だが繊細な欧州製戦闘機が占有し、日本機を装備する舞台は田舎の小学校を兵舎代わりに、盛り場とは縁遠い牧歌的な生活を送っていた。
 大公派上層部も悪いと思ったのか、物資や嗜好品の補給は優先的に回してくれるため、娯楽に乏しいことを除けば、何だかんだで本国よりも恵まれた待遇ではある。

「何かって、何だい?」

 彼らしくない物言いに、八田は首を傾げた。部隊のムードメーカーである檜は、他人の行動にケチをつけるタイプではない。
 新しく小隊長として着任した南部隼人少尉は、「ややお調子者」と言う印象を受けたが、溌溂とした実直そうな若者に見えたが。

「俺と加藤隊長に挨拶するなり、ノートを取り出して『サインを頂きたく! あと握手をお願いします!』と直立不動で言われた、後で海軍の赤松にも同じことを言ったとか。南郷さんが出張中と聞いて肩を落としてたぞ」

 ライズ名産のトウモロコシ茶を片手に、檜は頭をかく。
 確かに、おかしいと言えばおかしい。自分は言われていないので、全員にやっているわけではないのだろう。そうなると、シベリアの英雄・・・・・・・である隊長に言うならともかく、メディアに露出しているわけでもない檜や、下士官の赤松曹長と言うチョイスが謎だった。

「もしかしたら、人を見る目が凄いあって、彼にサインを求められた人間は伝説級のエースになる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・とか?」

 突拍子もない話を、檜は「馬鹿らしい」と一蹴した。
 八田はゲン担ぎやら占いが好きで、兵舎から星の動きを見て妹の死期を悟ったと言う逸話がある。パイロットはそう言った信心深い連中が多いが、度が過ぎるとかえって動揺を招くと檜は考えているようだ。
 月並みな言い方だが、運命は自分で切り開くものである。

「で、それからと言うもの、格納庫でずっと戦闘機とにらめっこして、整備中隊の連中を質問責めにしてる」
「きっと、飛行機が好きなんだろ? 僕らと同じさ」
「街に出た時に、あっちの同期に噂を聞いてみたんだが、何でもカタヤイネンとか言うフィンランド義勇兵の新品パイロットにわざわざ会いに行って『貴方と話せるなんて、自分はとてもついている男・・・・・・・・・です!』と訳の分からない事を言ったとか」
「で、そのカタヤイネンは何と言っていたんだい?」
「何が何だか分からないとドン引きしてたそうだ」
「……まあ、そうだろうね」

 檜が戸惑うのも当然で、南部隼人が残した手記によれば、クロアには、前世において伝説級の活躍をしたパイロットが大勢おり、サインをねだって回ったのは、そんな伝説・・たちであったが、そのような事を彼らが知るはずもない。
 先進的な空戦指揮官として名を遺し、死してなお後進達へ道を示し続けた加藤建夫。
 的確な指揮と闘争心で多大な戦果を上げつつも、敵機と衝突し壮絶な戦死を遂げた南郷茂章。
 空戦中に片足を吹き飛ばされてなお戦い続けた「義足のエース」檜与平。
 空戦に向かない対爆撃機用の機体で多数の戦闘機に突っ込み勝ち星を上げた赤松貞明ていめい
 抜群の技量が災いして不安定な機体ばかり任され、多くの事故に見舞われながら、多大な戦果を残して生き残り、「とてもついている」と戦友から称えられたニルス・カタヤイネン。
 隼人の手記には、そんな憧れのヒーロー達と共に戦えた喜びが綴られていた。

「しかし、何で奴なんだろう?」

 64戦隊は、|兵部省・・・の肝いりでクロアに送り込まれた実験部隊である。
 将来の空軍創設に備えて・・・・・・・・・・・・、陸海軍の連携をテストするために、機材人員共に陸海軍のちゃんぽん部隊。ライズの人間も優秀であれば積極的に受け入れ、異文化の人間と共に戦う試金石にすると言う意図もある。
 配属される人員の反発を和らげる為に歴戦部隊の名前を引き継ぎ、シベリアの英雄を隊長に据え、海軍からも同じくシベリアの英雄である南郷茂章少佐が副隊長に選ばれた。
 ところが、海軍に「陸式に顎で使われる」と騒ぎ立てた時代錯誤の人間がおり、気を使った加藤が、自ら隊長を兼任する予定だった第1中隊の名前を南郷に譲り、第2中隊を指揮すると言う体裁を取った。
 64戦隊は精鋭ではあり、戦果も華々しいが、そう言ったややっこしい事情も抱えている。
 そんな中に、何故そのような人間をわざわざ小隊長に抜擢したのだろう。そもそも、人手不足とは言え、何の実績もない新品少尉を小隊長に据えるのも異例である。
 檜曰く、加藤にそれとなく聞いてみたところ「既に実戦は経験している」との事。先日クロア入りした南部少尉がどこで実戦を経験したと言うのだろう?

「でもさ、悪い人間じゃないんじゃないかな?」
「何でだ?」
「昨日歓迎で皆でさくら亭に行っただろう? あそこで占いを受けたら、『運命を好転させる人物と縁を結ぶ』て言われてね」
「あの飲んだくれのババア、まだそんな事言ってたのか? お前カモにされてるぞ?」

 お茶をぐっと飲み干し、檜は苦言をしてくる。
 口調こそぶっきらぼうだが、彼は本気で嫌っている人間にこのような物言いをしない。徹底的に話題にすることを避けるからだ。
 南郷副隊長の僚機である赤松貞明曹長に対しても、の生意気だの少佐の腰巾着だの言いながら、どこかで認めていると、八田は踏んでいる。

「とにかく、さ」

 すっと、八田の双眼が細まる。普段温和な物腰ではあるが、彼はナイーブな側面がある。親友がそう言った部分で、自分を追い詰めないように気を使ってくれている事も気づいている。
 だからこそ、だからこそだ。
 加藤隊長が最も信頼していた第3中隊長の安間克己大尉は、全弾を撃ち尽くした状況で、爆撃機を止める為に体当たりを慣行。壮絶な戦死を遂げた。彼が担っていた重責の多くは若い檜が担うことになった。

「突破口が欲しいんだよ。戦果は挙がっている。でも、安間大尉が居なくなった穴は大きい。それを埋めた上で、この状況ひっくり返す何かが要るんだ」

 死ぬ事は覚悟している。だが、自分達の不甲斐なさのせいでこの国の人々が焼かれる事が何よりも嫌だ。それは、飛行機乗りの誇りを否定する事だ。
 そして、その危惧する事態はだんだんとリアルなものになりつつある。
 檜は無言で応えるとベンチから立ち上がり、「新品の面倒でも見てくるさ」と格納庫へ向かう。専任の曹長が南部少尉の腕を見る予定だ。
 試されようとしている新米少尉は、実戦経験はあっても撃墜0、被撃墜1の雛鳥でしかない。
 その雛鳥が、本当に突破口となり、ライズの歴史に風穴を開ける事になるとは、信心深い八田でも想像すらしていなかった。