降臨歴942年7月10日 ダバート王国

 母親が子供部屋を覗き込んだ時、娘はお気に入りのぬいぐるみを抱えて、ベッドから外を眺めていた。

「マリー、そろそろ寝ないと。明日の御寝坊さんになっちゃうわよ?」

 笑いかける母親に、娘は「お月様にお祈りしてたの。明日失敗しませんようにって」と告げ、不安そうにぬいぐるみを撫でる。

 竜神に愛され、恩寵を受けた竜神教徒は、5歳を迎えると近隣のコミュニティで竜神降臨の劇を演じる事で、感謝の示す習わしになっている。彼女が暮らすダバート王国を始めとして、多くの民が竜神を敬愛し、異教徒であっても竜神には敬意を払うのがこのライズ世界の暗黙の了解である。
 劇はほんのささやかなものだが、主要な役を射止める事が、子供社会ではこの上ないステータスになる。貴族社会では教育熱心な両親が演技の先生を見付けて来るなど、本人以上に配役に熱心だと言う。
 辺境の庶民でさえ、余暇にすることと言えば地域の神殿や酒場に集まって、トウモロコシ酒をあおりながら、劇の練習をしたり、誰かが街で見てきた流行りの演目について話を聞いたりするのが楽しみでなのだ。
 ここダバート王国の歴史書には、今まで領主による搾取に耐えていた農奴が、役人が薪に使うからと村にあった粗末な舞台を取り壊そうとしたのをきっかけにその役人を惨殺して蜂起し、領主を追い出してしまったと言う嘘の様な記述まである。 ビジネスパートナーである地球人達が呆れ返る程、ライズ人の演劇狂いは徹底している。 そんな民族の血が流れているからこそ、彼女は子供の劇で臆病になっている。

「いいじゃない。失敗すれば」

 母親は穏やかに笑って、娘の髪を撫でる。 いつもは嬉しそうに身を任せる娘も、母の言葉が不満なのか、むーっと頬を膨らます。

「だめだよ。マルキア様に失礼だもん」

 彼女が明日演じる聖マルキアは竜神に師事して魔法を学んだ10人の賢者の1人で、クロア公国を輿し、民を貧困から救うために身を粉にして働き、病に倒れこの世を去った聖人である。子供たちは「マルキア様みたいに人の役に立つ人になるんだぞ」と言わて育つ。
 明日の劇は「この力、人々の為に使いましょう」と言う台詞が一言だけなのだが、憧れが大きいだけに上手くやれるか不安なのだろう。
 何かを頑張ろうとする気持ちはよい事だ。 母親は娘の成長を喜びつつ、その気負いを解いてやる事にする。

「じゃあ、お母さんが良く眠れるようにお話しして上げる。竜神様のお話」
「知ってる。貧乏な私達のご先祖様に、竜神様が魔法を教えて下さったんでしょ?」
「そう、1000年前、方舟に乗って聖都ガミノに降臨された竜神様は、ご先祖様たちが食べ物が無くても助け合う姿に感動されたの。だから魔法を教えて下さり、トウモロコシやウシクジラの育て方も教えて下さったの」
「でも、竜神様は居なくなっちゃうんでしょ?」
「そうね。ご先祖様は失敗しちゃったの。魔法の力を独り占めしようとして、仲が良かったお友達同士で喧嘩しちゃったの。だから、竜神様は『人々が自分の為に争うなら、自分は居ない方が良い』っておっしゃって、他の世界に旅立たれたの」

 娘はそらみたことかと唇を尖らせ、「ほら、やっぱりご先祖様が失敗しちゃったから竜神様は居なくなっちゃったんだ!」と言い返す。
 母悪戯っぽく笑って、ゆっくりと娘に語り掛けた。

「でもね、その失敗があったから、私たちはそれを『いけない事』だと知ることが出来たのよ? そして、たくさんの人が『どうやったらみんなが仲良くできるのか』を必死に考えたの。だから、ライズを去られた竜神様は私たちを見捨たりなさらなかった。おじいちゃんが子供の頃、魔法が効かない怖い病気が流行ったの」
「神官様が言ってた。『皇帝熱』って病気でしょ?」

 母親は『皇帝熱』が魔法が効かない、それはそれは恐ろしい病気だったと付け加える。 何しろ、この病気の名前通り、最高の医療を受けられたはずのゾンム皇帝があっさり亡くなってしまったのだから。
「良い人も悪い人も沢山の人達が亡くなったの。でもそれ以上に大勢の人が、病気を治す方法を見つけて悲しいことを止めようって頑張ったの。その気持ちが竜神様に通じたから、”門”を開いてくれたの。門の向こうには”地球”と言う世界の”日本”と言う国があったのよ」
「ナオキ君も日本人だよね!」

 隣人の橘氏は、ダバートに工場の生産技術を教える為にやって来た技師だ。彼女たちとは家族ぐるみの付き合いをしていて、息子のナオキはマリーと兄妹のように仲が良い。 反対に、日本人に魔法を教える為地球に赴くダバート人もまた多い。 母親は頷くと、話を続ける。

「その頃の地球人は魔法を使えなかったの。でも”科学”と言う力を持っていた。日本の人達は、おじいちゃんたちが苦しむ姿を見てとても悲しんで、その科学の力で病気の治し方を一緒に考えてくれたの」
「えらい!」
「とても立派な事ね。だから、おじいちゃん達は日本が隣のロシアと言う国に攻められた時に、恩返しに助けに行ったのよ。良くお話し聞くでしょ?」
「『ほうてんかいせん奉天会戦けんりんだんう剣林弾雨の中ばっけんとつげき抜剣突撃した』って、いつもパパやナオキ君のお父さんとお酒飲みながら良く分からないお話してる」

 母親は「マリーにはちょっと難しかったかしら?」と苦笑する。

「ダバートと日本が今も友達なのは、おじいちゃん達がちゃんと『ありがとう』を言えて、優しさに優しさを返してあげたからなのよ? おかあさんがマリーくらいの頃『なんでわざわざ戦争に行ったの?』って聞いてみたの。そしたらおじいちゃんね。『ご先祖様が竜神様にしてしまった仕打ちを繰り返してはならないと思っただけじゃ』って笑いながら言ってたわ。
 だからね。失敗しても良いの。ちゃんと『何で失敗したんだろう』って考える事が出来れば、それは貴方の宝物になるわ。ダバートにとっての日本の様にね」

 そう語った母親が娘を見下ろした時、彼女は寝息を立てていた。
 毛布を肩までかけてそっとおでこに口付けすると、静かにドアへ向かう。
 子供部屋を出た時、廊下に積んである古新聞をが目に留まる。

「クロア公国帝国派戦車部隊、大公派の防衛ラインを突破」
「ガミノ神国、ラナダ共和国へ魔晶石鉱山の割譲要求。共和国代表は会談の席を立つ」
「ダバート王国、御前会議で軍事費の増額を決定」
「義勇兵募集! クロアは君を必要としている!」

 どれもこれもきな臭い物ばかりだ。
 もし戦争になったら、自動車工場で働く夫も召集されるのだろうか?

(どうかお願いします竜神様。あの子の未来が閉ざされませんように)

 彼女は聖都の方向に祈りを捧げる。
 街の神官様は、竜神は最善を尽くした者に救いを与えると説いている。
 自分に出来る事はそう多くは無い。自慢の娘が誇りを持って生きられるように愛情を注ぐ。
 ただそれだけだ。だが、それこそが竜神が示した優しさに報いる事だと信じている。