降臨暦943年某日


 人間は激務の中にいても、環境にそれなりの意義を見出していれば、ある程度耐えてしまう生き物である。 それが割と事故や過労死を誘発するのだが、イリッシュの決戦後、復帰したパットンの猛攻をしのぐクロア公国軍の将兵をストレスから救っているのが、司令官と参謀長の微笑ましいやりとりである。

「報告する! 今週ヴェロニカ大佐がアルフォンソ大将と目が合って微笑みあった回数76回! 資料を渡す時指が触れて赤面した回数12回! 追記として、アルフォンソ閣下が『ロニー』とあだ名で呼ぼうとして照れ臭くなって止めた場面を目撃した者が居る!」
「なんと! そんな美味しい場面に何故私たちが居合わせなかったの!?」
「……あの日はたしか、新型戦車の受け入れで忙しくてそれどころではなかったわ」
「おのれ最高司令部! こんな時に戦車など送ってくるとは!」

 流石に冗談であろうが、新型戦車を熱望していた兵士達や、寝る間も惜しんで配備を急いだ最高司令部スタッフが聞いたらどんな顔をするだろうか?
 黄色い声を上げる女性士官達に官給品のまずいコーヒーを注ぎながら、従兵はそんな事を思う。
 この3人はイリッシュ会戦の実績でヴェロニカが推挙し、アルフォンソが抜擢した叩き上げで、彼女達の発言は決して軽口ではなく、名将率いる強大なゾンム帝国軍と対峙するプレッシャーを和らげるための知恵……だと思う。
 実際、3人の目元にはうっすらクマが浮かんでおり、ヴェロニカからは直ちに休息を取るよう命じられたばかりだ。この会話も、仮眠前の貴重な食事時間を利用して、心のケアをしているに過ぎない。……多分。
 確かにあの2人を見ると、なんだかこう、学生時代を思い出してほろ苦い気持ちになりはする。将軍閣下はもう30半ばなのだが。

「諸君、我々はそろそろ次の段階に進むべきだと思う! 具体的には、2人の仲を進展させるアクシデントが欲しい!」

 赤毛の戦車将校ローサが宣言する。

「……同意。激戦のストレスの中、我々は心の栄養を欲している」

 黒髪の主計将校ラビアが首を縦に振ると、ボブカットの若手参謀レンが「私に良い考えがあるわ!」と高らかに宣言した。

「おお! レン、何かいい知恵があるのか?」
「ラビアは何処でもいいから、カメラを調達して頂戴。ローサは私がお2人に話しかけるタイミングに、男どもを追い払って」
「……了解」
「心得た!」

 3人は頷き合うと「とりあえず、仮眠取りましょ。倒れて司令達の心労を増やしちゃ本末転倒だもの」と言うレンの閉会宣言で小さく欠伸すると自室に戻ってゆく。
 あ、そこはちゃんと配慮するのね。
 従兵は軽く肩をすくめると、飲み終わったカップを片付け始めた。



 レン・マウントウェルとローサ・カントルの両大尉が仮眠明けに会議室を訪れた時、休憩中の人間が階級問わずうろうろしていた。 ヴェロニカに用事を頼まれるのを待っているのだ。
 ローサは「暇人どもめ!」と自分を棚に上げた悪態をつぶやき、赤毛のポニーテールを揺らしつつ、ガニ股で男どもを追い払いにかかった。
 彼女を見つけた野郎どもは「げっ!」と小さく悲鳴を上げ、撤退を決め込む。
 こんなんでも「気さくで話しやすい」と、ヴェロニカに継ぐ人気を誇るのだが、本人は全く気づいておらず、周囲も面白がって教えない。
 ローサの目配せを受けて、レンは涼しげな顔で会議室をノックする。以前は考えられなかっやわらかい声で「どうぞ」と返答がある。


 中では、アルフォンソとヴェロニカが地図を囲んでいた。 イリッシュ以来、アルフォンソが必要な資料を参照しようとすると、ヴェロニカが先回りしてすっと差し出す姿を大勢が目撃しており、とある日本人義勇兵などは「帰国したらうちのカカアに大和撫子の生きた教本がいたと自慢してやる」と愚痴なのか惚気なのか分からない事を言っていた。

「あら、あなた達。休息は十分とれた?」

 疲労の色を浮かべつつも、笑いかけてくるヴェロニカに、レンは昇天しそうになる。

「ロニーたん! マジ天使!」
「……レン大尉?」

 思わず脳の中身が漏れた。
 ヴェロニカの笑顔に困惑の色が混入され、傍らのアルフォンソはほっこりと微笑む。
 「うちの参謀は皆に好かれてるなぁ」とか思っているんだろう。そしてあれは「自分より先に彼女を愛称で呼ばれるのは悔しいけど、それ以上にパートナーが愛されているのがうれしい」とか考えている顔だ。
 その通り! 大好きなのです! あなた達のカップリング・・・・・・・・・・・が!

「閣下! 以前閣下は『困った事があれば力になる』と言ってくださいました! それを今お願いしたいのです!」
「うん、まず話を聞こう」

 AAAトリプルエーはいつもの調子で椅子を勧めるが、レンはすぐに終わるからと辞退し、「閣下の写真を頂きたいのです!」とはっきり告げた。
 ヴェロニカが「えっ!」と悲鳴に似た驚きの声を上げた。それに気付いたアルフォンソが「すまないが、そういう話は……」とかぶりを振る。

(ああ、この初々しさと馴れ合いが同居した感じ、きゅんきゅんするわ!)

 この反応を見るために、わざわざ誤解される表現を取ったのだ。
 レン大尉の意地の悪さは、流石にヴェロニカの秘蔵っ子だけあると言える。

「失礼しました! そうではなく、閣下と大佐お二人の写真を頂きたく! 勿論、写真は焼き増しして御贈りたします!」

 ヴェロニカがほっと息を吐いたのをレンは見逃さなかった。もうこの顔だけでご飯3杯行ける!

「そうだね。記念にお願いしようか」

 司令ならそう言うと思ってました!
 2人で公然と写真を撮れるチャンスをこの男が見逃す筈がない。
 男は皆助平なのだ!
 それが、善人で紳士で人たらしでヘタレなアルフォンソ・アッパティーニであっても!
 ヴェロニカは「そんな暇は無いのだけれど?」と抗議するが、照れ隠しなのは明白で、アルフォンソの「まあいいじゃないか」と言うとりなしを受けて「5分で済ませて頂戴」とぶっきらぼうに言い放った。可愛い!

「……カメラを持ってまいりました」
「お写真を撮られると言う事で、小官も見学させて下さい!」

 同時に突入してくるラビアとローサに、流石の2人も「何かまずい約束をしてしまった」と思っているようだがもう遅い。

「では、閣下は壁に寄りかかり、中佐は閣下の肩越しに手をついて下さい。あ、勿論視線を合わせて」
「ちょっ、ちょっとこの姿勢は何なのよ!?」

 期せずして、後に生み出される「壁ドン文化」を数十年先取りしたポーズを命じられ、ヴェロニカの口調が昔に戻る(脳髄に焼き付けた)。
 抗議しながらも約束した以上きっちりやってくれる彼女の律義さはきっちり把握済みである。アルフォンソの方も、余裕がある様に見せてガチガチであろう。顔が真っ赤だ。エクセレント!
 すかさずラビアが「いいよー、いいよー」と人間離れした手巻き操作でシャッターを切りまくり、ローサはそれをうっとりと見つめている。

(ああっ、ここで「あなたは私のものよ」とか言って欲しい! でもまだ・・駄目! ちゃんと段階を踏まないと勿体ないわ!)

 恍惚とするレンの横で、耐えきれなくなったローサが「ぶほっ!」と鼻から鮮血を吹き出す。

「ちょっ! 今衛生兵を……」
「いえ大佐! 今私にこの場を離れろと言うくらいなら、むしろ自死を御命じ下さい!」

 ぼたぼたと血を垂らしながら、医務室行きを断固拒否するローサの瞳は座っていた。

「出さないわよ! そんな命令!」
「……大佐! パートナーから目を逸らさないでください! 閣下も!」

 普段は物静かなラビアにぴしゃりと告げられ、2人は「アッハイ!」と反射的に答える。



 ヴェロニカは後に語る。

「私の半生で屈辱を感じた事は数多くあり、それを自らの糧としてきた。しかし、本物の”羞恥”を刻み込まれたのはこの時が初めてだった」と。

 人の心理を巧みに洞察し、数多くの危機を事前に察知した作戦参謀レン・マウントウェル。
 「調達できないものはなく、無から有を生み出す」とまで言われた兵站の魔術師ラビア・サレハ。
 苛烈なまでの進撃でゾンム陸軍を震え上がらせた赤毛の戦車指揮官ローサ・カントル。
 箱舟戦争で頭角を現し、若き将軍と参謀長を支え続けた3人の士官は、歴史上の様々な忠臣に例えられるほどの滅私奉公を見せたと言う。
 戦後、ヴェロニカとアルフォンソの結婚式で、「その忠誠の源は何でしょうか?」と尋ねられた時、3人は意味ありげな笑いだけを返したと言う。