「フォン」の名が示す通り、ヴェロニカの家は騎士階級であり、欧州大戦終結時、日本に工作機械を売りさばいてひと財産築いた資産家である。庶民がインフレにあえぐ中、彼女は恵まれていたと言える。
 そして両親も公人としても私人としても真っ当な人間であった。経営する機械工場では、フォード式の労働システムをいち早く取り入れて工員の健康にも気を使い、労働者の地位向上を目指す政治家を支援していた。周囲は彼らを尊敬していたし、その尊敬は娘にも向けられた。
 両親は忙しいながら、彼女と過ごす時間を作る努力を惜しまなかったし、留守を任された老夫婦はしつけこそ厳しかったが、両親が長く家を空けているときは、必ず彼女の好物を作ってくれたり、友達と一緒にピクニックにつれていってくれた。
 有り体に言って彼女の子供時代は幸せだった。あの呪われた夜までは。



 いつもは必ず決まった時間にベットに入るよう言われていたヴェロニカだったが、その夜は、長期の出張から戻る両親を出迎える為に、夜更かしが許された。
 両親は出かける前に「この出張から帰ったら、暫く休みを取るから家族旅行でも行こう」と告げ、ヴェロニカの頬を撫でた。それからというもの、両親が戻ってくる日を心待ちにして、カレンダーを眺める日が続いた。
 両親に会える喜びと、公にタブーを破る事が認められた興奮で、彼女は多幸感に包まれていた。ドアがノックされて、老夫婦が「旦那様と奥様を迎えに行く」と促した。はしゃいだのは最初だけだった。彼らの末期患者の様な生気の無い顔色と、思い詰めた態度から「何か大変なことが起こった」と感じた。連れていかれたのは病院で、引き合わされた両親の死に顔は見せて貰えなかった。死に化粧エンパーミングでもどうにもならない程頭部が損傷していたのだ。



 両親を射殺した青年は、悪質な工場で工作機械に左手の親指を挟まれて失い解雇され、ベルリンまで流れてきた言う。そこで彼らは最新流行である労働者解放運動の洗礼を受けた。ただし、その教えは必ずしも本来の理念に則ってはいなかった。
 より良い制度を考える努力を説くより「資本家が悪い。あいつらが居なければ上手くゆく」と煽った方が楽で受け入れられやすいし、何より資金も集まる。
 吹き込まれた思想は、日雇いの肉体労働を転々とするうち、積もり積もった怨恨と化学変化を起こした。そう、あいつらが居なくなれば良いのである。彼は拳銃を手に入れ、「正義」を行ったのだった。
 たまたま殺した資本家が、労働者の環境改善に積極的だろうと、彼にとっては些末な問題である。ヴェロニカは両親を失い、幸福な子供時代とさようならを強要された。そして、彼女は馬鹿が嫌いになった。



 立身の為入隊した陸軍では、まだ猫を被ってはいた。女性士官はまだ少数だったが、欧州大戦で日本の女性兵士が実績を上げていた為、開明的なワイマール帝国も試験的に女性士官の受け入れを模索し始めたのである。
 士官学校の試験をパスした彼女は直ぐに頭角を現した。戦車の運用についてのめり込み、参謀本部が打ち出した「戦車を騎兵の代替として機動戦に集中投入する」と言う考え方をすぐに受け入れた。
 優秀で容姿も美しい彼女は、常に注目された。おかげで危ない目にも遭ったが、用心を怠らなかった事で事なきを得た。
 中尉にスピード昇進した時、彼女は軍事顧問としてブリディス都市同盟に派遣された。ブリディスは英独が共同で支援するライズの五大国の1つで、ここに派遣されるのは出世コースの1つだった。




 ところが、たまたま仕事で訪れた首都ノースで、100年ぶりの地震が起こったことが彼女の運命を変えた。地震の規模は大したことは無かったが、天災に慣れていないノース市民はパニックを起こし、市内の駐屯地に殺到した。
 その対応に追われるヴェロニカに、路上生活者数名が避難所への保護を求めてきた。彼女は、まず怪我人や体調が悪い者が居ないか確認し、そう言った者が居ないと分かると「では、納税者を先に収容します。余裕があれば迎え入れるから待っていなさい」と命じた。彼らも不承不承納得し、納税者の収容後に浮浪者達を受け入れた。
 ここまでなら大騒ぎになる事も無かったが、たまたま居合わせた共産党のシンパが、彼女の行動をドイツパッシングに利用したのである。曰く、「彼らは第二帝国と変わらず、社会的弱者を食い物にする圧政者である」との事だった。

 周囲の者や事情を知る者は同情的で、ほとぼりが冷めるまで彼女に休暇を取らせたが、ゴシップ誌が彼女の居場所を突き止め、話を聞きたいと言ってきた。すまし顔でその場を去ろうとする彼女に、記者が投げかける。

「やっぱり、ご両親の件でプロレタリアへの逆恨み...でなさったんですか?」

 彼女の中で何かが切れた。にっこりと笑顔を浮かべると、「御社では、何人なのかしら?」と質問を返した。何のことか分からない記者に、彼女は続ける。

「貴方のオフィスに保護した浮浪者の数よ。まさか、自分達は助けないで他人を非難したわけでは無いわよね?」

 言葉に詰まる記者に、彼女は追い打ちをかける。

「600万人でしたっけ? 貴方のご主人様.....がウクライナで餓死させたプロレタリアは。そんな血まみれの札束で飲むお酒はさぞ美味でしょうね?」

 記者の青い顔が真っ赤に染まる。アメリカ式の信号機みたいだな。そんなことを思った。

ヨシフ君・・・・にそのうち戦車で挨拶に行くと伝えて頂戴。それれまでご自慢の秘密警察に守ってもらうといいわ」とロシア語でやり返した。
 記者は何やら捨て台詞を吐いて帰って行ったが(「総括」だの「造反有理」だの)、彼らは恐ろしく高価で三流記者が持っている筈の無い魔導式の小型録音機器を懐に忍ばせていた。
 ウクライナの下りはきっちり削除した上で、ソ連への罵倒と「モスクワに戦車で乗り付ける」と宣言した事のみが取り上げられ、ラジオで大公開された。
 もはやドイツ陸軍も彼女を庇いきれず「暫く頭を冷やしてこい」とクロア公国に義勇兵扱いで放り込まれたのだった。
 彼女は全てが馬鹿らしくなり、取り繕うのを止めた。「馬鹿が嫌い」と公言し、能力ややる気の無い者と判断すれば露骨に見下した態度を取った。両親譲りの頭の良さと、先読みが無ければクロアでもとっくに放逐されていただろう。
 ヴェロニカ・フォン・タンネンベルクは馬鹿が嫌いなのだ。