日本陸軍が、女性にも門戸を開くと聞いた時、欧米のメディアは「黄色い猿は気でも狂ったか」と面白おかしく書き立てたが、当の本人たちは大真面目であった。
 彼らに魔法をもたらしたライズ人は、「性別に関わらず、やれるものがやる」と言う文化が浸透している。
 考えてみれば当然の話で、魔法は魔力器官と呼ばれる特殊な機能を持つ者だけが使用できる。その半数を性別を理由に切り捨てるなど出来ようはずがない。
 日本人も当初こそ難色を示した。特に宗教上の理由で女性の乗艦を嫌がる海軍はこれが顕著で、予算会議は紛糾し、嫌がらせとボイコットの嵐が吹き荒れた。
 しかし、4kg近い小銃を持たなくても相応の火力が発揮でき、飯を食って休めば弾薬なしで戦える魔法の有用性は否定しがたく、申し訳程度の女性魔導兵が採用された。

 風向きが変わったのが、日露戦争だった。 奉天会戦に従軍した士貴薫少尉は、ロシア軍の抜剣突撃を前に、身体強化の魔法で踏みとどまって敵兵と切り結びながら味方を鼓舞し、戦線の崩壊を防いだのである。
 終戦後、マスコミの前でコメントを求められた彼女は面倒臭そうに「酒臭かった」とだけ答えた。
 周囲の者は一様にきょとんとしたが、やがて突撃前にウォッカを一気飲みして恐怖心を忘れるロシア軍の風習を思い出すと、彼女の豪胆さに感嘆のため息を漏らした。
 士貴少尉は白兵戦の教官を拝命し、やがて一般大学卒として初めての将官となるのだが、これを日本の女性達が放っておかなかった。

 文人の与謝野晶子が士貴少尉を詩にした事でその武勇は一気に広まり、両家の子女は一斉に薙刀や剣道道場の門戸を叩いた。少女雑誌のアンケートでは、生来なりたい職業が「お嫁さん」「看護婦さん」と並んで「軍人さん」が台頭した。 やがて、士貴少尉が軍が持ち込んだ華族の子息との見合い話を蹴り、定食屋の倅と祝言を上げてしまったと言うゴシップも、女性達を夢中にさせた。
 夫は同じ道場の兄弟子で、幼い頃から結婚の約束を交わしていたとか居なかったとか。 苦言を述べた周囲の者達への返答がまた振るっている。

「剣で私に勝てる奴がいたら話を聞いてやる」

 勿論、誰一人勝てる者は居なかった。




 彼女の存在は、少女たちにとって憧れであり、「正当な努力で結果を示せば、生き方は選べる」と言う新しい考え方を示してくれた教師でもあった。
 「男どもには任せておけない」を標語に、軍への志願が社会運動となり、魔導兵しか入隊を認めていなかった軍も、渋々これを引っ込める。
 集まる人気と寄付金と比べたら、男の沽券などうっちゃってしまえと言う訳だ。

 軍隊とは何の為にあるか? そんなもの決まっている。現ナマの為である。
 欧州大戦で魔導兵の優秀さが広まると、列強も日本に倣わざるを得なかった。特に積極的だったのは敗者として魔導兵の威力を実感したドイツと、大粛清で男の軍人を殺しまくってせいで、代わりの人員に困ったソ連である。
 ヴェロニカ・フォン・タンネンベルク少佐も、そんなドイツ軍人の一人であった。



 大公派の戦車兵達は、就任の挨拶を行う彼女を見て手を叩いて喜んだ。「こんな美人がやって来るとはなんという役得。自分たちは運が良い」とホクホク顔の彼らだったが、早速彼女を食事に誘ったイタリア義勇兵がけんもほろろに玉砕した辺りから暗雲が立ち込め始める。
 彼女の訓練は過酷を極めた。
 他の中隊と比べて鉄拳制裁が多い訳でも、物理的にきつい訳でもない。
 ただ、ミスや怠慢への叱責が「恐ろしい」だけである。ヴェロニカは、論理的かつ精神を抉る語彙力を持って、今の失敗が何人の戦友を死に追いやったかを延々と解説するのだ。
 軍人と言うものは基本体育会系で、「ねちねちと説教されるくらいなら一発殴ってくれた方がまし」と言う文化である。
 自身の車両が撃破判定を受けた時、乗馬用の鞭をひゅんひゅん言わせながら笑顔でやってくる彼女は、部下たちに多大なトラウマを植え付ける事になる。この鞭は彼女が指揮用に持ち込んだもので、実際に誰かを打った事は一度も無かったが、誰もが「いっそそれでぶっ叩いて手打ちにしてくれ」と誰もが思った。

 しかし、開戦と同時に部下たちは「やはり自分たちは運が良かった」と痛感する事になる。
 彼女が指揮する中隊は圧倒的に戦死者が少ないのである。攻撃に転ずる個所は必ずと言って良い程「相手が嫌がるポイント」を突いた。理由の説明できない不合理な指示は無視を決め込み、意味の無い突撃を命じられれば「無線が壊れた」通信を打ち切って後退を命じた事すらあった。
 平時なら厄介者だが、戦時において有能な人間に冷や飯を食わせる体制なら、もうその陣営は敗北している。よって彼女はとんとん拍子に出世した。多くの部下たちの自尊心を痛めつけながら。
 そんな彼女の作戦案が新司令官の目に留まったと聞いた時、有能なボスが居なくなる不安と、もうあの説教を聞かなくて済むと言う解放感を胸に、部下たちは彼女を見送った。

 ヴェロニカ・フォン・タンネンベルク。後にジョージ・パットンと並び、「戦車戦の神様イフリータ」呼ばれる女傑であった。